中東の地域に発した人類の文明は東西に分かれて、西は、やがてギリシャ、ローマを経てヨーロッパへと広く伝播して行きました。一方、東への道はシルクロードを通って中国へ、更に韓半島、やがて日本へと伝わりました。特に文明の中身である装飾文化についても同じ事がいえます。鉄工芸(wrought iron)の代表的なデザイン モチーフであるスクロール(scroll) の模様は今日でも、期せずして東西同じものが伝わっています。しかもそれが西欧ではアラベスクと呼ばれ、日本では唐草(中国の草)と呼ばれています、この事は、東西双方向への文化の伝播の道を証明していて、大いに興味のあることです。
ところで、ここで特筆すべき事は、日本はこの装飾文化の東の道の行き止まり、終点の国であった事です。なにしろ東には太平洋があって当時では、それより先には行きようが無かったのです。
この立地的な条件は、その後、日本の装飾文化の形成に大きな影響を及ぼしました。
幾世代に及ぶ西からの文化の流入と集積、そこに育まれる多様性と独自性です。
装飾文化において、7世紀~12世紀の飛鳥、奈良,平安の各時代では、主として中国の装飾様式の影響が大きく、その後、京都が政治的にも、文化的にもその中心となった14世紀~16世紀の室町、安土桃山時代に至って、これまでの外来文化の集積をベースにして、絵画、織物、染物、漆芸、陶磁器など、あらゆる工芸の分野に日本独自の装飾文化が一挙に発展しました。
その後17世紀に入り、日本は鎖国政策をとり、政治の中心は江戸(東京)に移りますが、文化の中心は京都にあって、今日でも世界的に評価の高い、琳派を中心とした才能ある芸術家集団が活躍し、日本の装飾工芸文化が大きく花開き、完成を迎えたのです。
また、江戸では浮世絵と呼ばれる版画が庶民に広く受け入れられて流行します。
一方、この頃より、鎖国で制約されたかたちであっても、海路によるヨーロッパ諸国との交流がはじまり、日本の装飾文化がヨーロッパで高い関心をもたれるようになり、これが
ヨーロッパのアールヌーボウ、アールデコの装飾芸術に、またフランス印象派の絵画にも少なからず影響を及ぼしたと言われています。
このことは「東の終点、行き止まりの国」で育まれた独自の装飾文化が、永い年月を隔てて曾って(いつぞや)分かれた「西の道の国」の装飾文化に受け入れられた事の不思議さ!
またその事の必然性に大いに興味を覚えるのは私だけでしょうか?
しかも、今、我々は「ヨーロッパの更なる道の先の国」であったアメリカに、この日本の装飾文化を紹介しようとしているのです。
日本の伝統的な装飾デザインの特徴は、そのテーマを自然の中に求めてきました。それは植物や動物にとどまらず、風、雲、雷、雨、雪、波、水の流れ、と言った本来、姿、かたちを持たない天然現象にまで及んでいます。しかも、それらを単に観念的に捉えるのでは無くて、象徴性と造形性の微妙なバランスと豊かなイマジネーションによって模様化され、デザイン化されました。
最初は画家の感性とアイデアによって絵画として表現されたものが、更に工芸家の手工技術によって物質化された表現としてリファインされ、工芸品として多様で高度な価値を与えられました。
我々は日本の伝統的な装飾様式を基にして、主として金属による建築、室内空間の装飾の為の製品の製作と、さらに新しい金属による装飾空間への提案を目指してきました。
これからは、特徴のある歴史的背景によって育まれた日本の装飾文化と様式をデザインの提案によってご紹介したいと考えています。
これからは、特徴のある歴史的背景によって育まれた日本の装飾文化と様式をデザインの提案によってご紹介したいと考えています。
そのために、(株)よし与工房が提案する鉄製装飾建材のためのオリジナルデザインをKYOTO DECO Style®として商標登録しました。
日本国内のみならず、海外へもKYOTO DECO Style®のオリジナルデザインをここ日本の京都の地から発信して参ります。